|
「美しく生きる」
朝洗顔の時鏡を見る。
「うーん違っちゃったな」
一人のどうしようもない老婆の顔がある。
詳しくは述べないけれど、色々と変化が起きている。
最近思うのは、取りあえず顔だけの問題ではなく、言葉、所作なども、出来るだけ気をつけて少しでも美しく生きていきたいと思う。
さて最近ビアノの練習で階下に降りようとしていた時、夫から練習が終わったら、階下の机の引き出しに入っている書類を持って来て欲しいと頼まれた。
書類はすぐ見つかり、その引き出しに一通の手紙があるのが目に入った。
夫と私宛の手紙だった。
開封されていたので、夫は読み、私に渡そうとして忘れてしまったらししい。
なにげなく読み始めたのだが、まず最初の出だしから、感謝の言葉が連ねてあった。
この方は婚期が遅れていて、中々よい縁に恵まれなかったのだが、たまたま彼と同じように婚期の遅れた女性が偶然の事で相談に来ており、私たちが取り持って無事結ばれたのだった。
私が一応音楽学校卒である事から、私は結婚式の音楽を頼まれる事が多い。この方たちも牧師先生の司式と私の音楽に乗って結婚をしたのだが、この方の場合、よほど緊張したのだと思うのだが、ターン、タータ、ターン、と私が弾いたその出だしの所で見事にけつまずいて、コケそうになったのである。
予行練習では一度も失敗しなかったのに何故かと思うが、やはりここ一番という時に、極度の緊張が襲ったのだと思う。
私はこの結婚行進曲は、よく頼まれているので、飽きるほど弾いて来ているが、我が人生で、このように最初のターンでこけそうになった方はこの人だけだったので、よく覚えている。
幸いにしてその後は何事もなくごく普通に幸せに暮らしておられていられるので、良かったと思う。
私は若い頃からビアノの教師をしている関係で、ずっとルツ子先生と呼ばれて来ている。もう最近では、ばあさんになってもおり、ルツ子先生は全く似合わないのだが、長年の習慣は恐ろしいもので、誰も不思議とは思わず、この呼び名で通っている。
考えてみれば、ピアノと関わりを持ってから、いつの間にか半世紀になった。そのビアノの音の美しさに魅入られたのは私が小学四年生の時だった。父が赴任した教会幼稚園に、ピアノが置いてあり、初めて弾いたのだったが、その時なんと美しい音なのだろうと思ったのを今でも鮮明に覚えている。大変高価なピアノで象牙の鍵盤だった。毎日五時間くらいは平気で弾いていた。
母がこれはよほど好なのだと思い、ピアノの先生の所へ連れていってくれた。
ピアノの先生の所には早く行き過ぎて、まだ先生はご家族と昼食を取られていて、先生の食事が終わるのを待っていたりした。
その時以来、よほどの事がないかぎり、一日でもビアノを弾かずにすませる事はできなくなってしまった。ピアノ大好きは今も変わらない。
私は年をとり、ピアノを人前で弾く機会も前に比べれば少なくなった。現在綾瀬教会の奏楽をさせて頂いており、奏楽を始めて60年を経たが、いつも美しい心をもって善きものを伝えたいと思う気持ちには変わりない。
終わり
|
|