心残りのお団子
 朝まだ日も昇らぬころ、母に手を引かれて家を出た。
 二十分程歩いて駅に着くと、彼方から黒煙をはきながら列車がやって来た。SLの重量感のある振動を伝える汽笛を鳴らし、ホームに滑り込むと、客車の中は、立錐の余地もなく、人で溢れていた。
 客車の中の通路は、人で埋まって通れない。屈強な男たちは窓を使って乗り降りしていた。
 途方に暮れていると、掴んでいた手がはなれ、女だてらに客車の入り口から、人をかき分けて入ったかと思えば、窓の中から母の手が伸びてきた。
「こっちいらっしゃい」
 慌ててそちらに行くと、むんずと上着の襟を捕まれた。その勢いに飲まれた周りの男たちの助けも得て、窓から客車の中に引きずり込まれた。
 発車時間が来はせぬかという不安の中の一瞬の出来事だった。
 すし詰めの客を乗せた列車は、白い蒸気をはいて、力強く発車した。緑の山々を縫い、幾つかのトンネルを潜り、たくさんの駅に一つ一つ立ち寄りながら列車は進んだ。そして、コークスの臭いと噴煙で鼻の穴は真っ黒になった。
 列車を降りた時は、もう夕方になっていた。駅前には、明るい電灯の光に照らされたお店が立ち並び、道行く人々は楽しげだった。
 とある和菓子屋の前で、しばし二人は立ち止まり、そしてまた歩いて行った。夕闇はせまり、不安と寂しさが二人を包んだ。二人はつないだ手をぎゅっと握りしめた。
 田舎道を歩いて行くうちに、すっかり暗くなり、道がどこにあるのかさえ見分けがつかなくなった。頼りなさが二人を包み、不安は深くなった。行く道も定かならぬまま、暗闇の中を歩いて行くと、遥か彼方にぽつんと裸電球の光がひとつ。それを目指して、真っ暗な原野を、手探りで歩いて行くと、蒲鉾型のテントが現れた。
 米進駐軍からの払い下げのテント。その内側には、両側の地べたに板のすのこが敷いてあり、その上に布団が敷かれ、幾人かの人が横になっていた。その真ん中の通路を先へ進んだ。そこは、原野を開墾して農地を拓いている開拓団だった。
 その奥には、自転車の輪を使った毛糸作りの糸車があった。母はこの糸車を手に入れるためにやってきたのであった。
 翌朝、二人は、この糸車を抱えて、朝の光を背に受けながら帰途についた。
 長い長い年月を経て、死が間近だとの知らせで母の病床を見舞った際、母が妻に言ったと聞く。
「あの時、手持ちがなくて、お団子が食べさせられなかったのが心残り」
 お金を積んでも砂糖のなかった時代の温かい心を、半世紀も胸に包み込んだ思いへの、有り難さに心痛む話である。
 マスメディアが横行する今日、群衆が一斉に踊り、歌を歌い、一体化する喜びも意味のないことではない。
 しかし、深く、継続して人生を支える根拠は、本当に小さくはあるが、魂を注ぎ出すような深い愛にあるのではなかろうか。