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主題聖句 タイトル
ルカ1章1〜4節 ルカの人となり
実現した事柄の上で
  ルカによる福音書の著者は、「01-02わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています」と書き始めています。
  ここで、「わたしたちの間で実現した事柄について」と書いています。ルカは今、「実現した事柄」の上に、しっかりと足を置いていることが分かります。ルカの足下には、「実際に実現した事柄」があったわけです。そしてその「実現した事柄」は、すなわち、「教会」でした。教会こそ、神がこの度、実現された本体でした。
  著者の所属する教会は、キリスト教への迫害が本格的になる八十年代に生きていました。次第に緊迫する時代の中で、唯一回的に行われた主イエス・キリストの救いを確信して生きている教会の中に、彼は居ました。「実現した」という言葉は、救いのみ業が完成したということと同時に、それが現実にあって、確実に存在するということを意味していると言います。信仰の結実がそこにはあったと言えます。
  このような信仰の結実についての確信がありましたから、そしてそこに、その結実としての教会が存在しましたから、彼は、ルカによる福音書を書くことが出来たのです。
歴史的視点
  彼が属している教会と、そこで生きる彼の信仰は、壮大なものでした。主イエスの宣教の活動の開始を遡ること遙か、彼は、イエスの誕生物語を詳細に宣べ、さらに遡って、ヨハネの誕生の次第まで、詳細に記述しました。また、イエスの十字架と復活の後、弟子達と教会がどのように主イエスの跡をたどったかについて、使徒言行録を書きつづって、主イエスの生涯と対応させながら、主エイスの体としての教会の現実を露わにしたのです。
このゆえに、ルカによる福音書は、「イエスの時」を中心にして、「イスラエルの時」から「教会の時」にまたがった時の流れの中に、信仰の現実を歴史的に見つめる目によって記述されることになったのです。福音書の著者は、ひたむきに主イエス・キリストのみ足の跡をたどりながら、信仰を告白したのだと理解することが出来ます。
先達の偉業
こうして彼は、一書をしたためることになったのですが、このことについて、「最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに」と書いています。このことは、ルカによる福音書の著者はイエスに起こった事実の目撃者ではないということを意味します。彼以前に目撃者が存在していて、その人々がみ言葉に仕え、福音を宣教していたことを確認しているわけです。おそらく、十二弟子とその仲間を指しているのだと思われます。
また更に、「物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています」と続けているのは、弟子達の後に、福音の次第を文書に書き記した人々がいたことを指し示しているのだと思います。執筆しようとして座した机の上には、これらの人々の記した文書が整理されて、並べられていたのかもしれません。
  面白いことに、ルカによる福音書とマルコによる福音書を比べてみると、その共通性は著しく、ルカによる福音書の著者は、マルコによる福音書を机上に置いているかのように、マルコによる福音書の構図にならって、ルカによる福音書を書いたということが十分想定されます。そしてこの基本部分の前に、イエスの誕生物語などを、また、この基本部分の後に、受難と復活に関する多くの資料を付け加えて、ルカによる福音書は書かれていることが分かります。
  また、マタイによる福音書との関係は、直接の関係というよりは、ルカによる福音書の著者は、マタイによる福音書と共通する資料を持っており、この資料を机上に置いて、マルコによる福音書からの資料を補う形で、ルカによる福音書を書いたのではないかと判断されます。
  また、ルカによる福音書は、マルコともマタイとも共通しない、特殊な資料も豊富に持っており、この資料も机上に置いていたと推定されます。おそらくこの資料は、イエスの誕生から、使徒言行録の内容までに及ぶ、膨大な資料であったのではないかとも言われ、ルカ独自の資料群であったようです。
  ここで、ルカによる福音書が、「多くの人々が既に手を着けています」と言っているのは、このような、いくつにも渡る膨大な資料群であったようで、状況的にも、これらを一書にまとめるという気運は熟し、期を待つばかりになっていたとも言えます。
  ルカによる福音書の著者は、この期を捕らえて、これら資料の全体を網羅した「物語」を書いたのです。
  このことについて、ルカによる福音書の著者は、「03そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました」と書いています。
  ここで、「わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので」と書いているように、彼は確かに、詳しく資料を調べたことが分かります。そして、「順序正しく」書いたことも分かります。彼は、机上にある膨大な資料を、整理し、並べ替え、素晴らしく、優れたギリシャ語で書いています。そしてそれを、「福音書(エウアンゲリオン)」という形ではなく、「物語(ディエゲーシス)」という形で、使徒言行録の執筆まで拡大したのです。
  こうして書かれた主イエス・キリストに関する「物語」を「テオフィロ」という人物に献呈しています。しかし、この人物が、どんな人であったかは、もはや辿り着くことが出来ません。当時のヘレニスト修辞家がその文書を屡々有名な人物に捧げている習慣がありましたが、それに従って献呈したとすれば、おそらく、ローマの高官に匹敵する様なテオフィロという人物は確かに実在したのでしょう。
  ただ、ここで分かることは、ルカによる福音書が優れたギリシャ文学書として執筆され、相当な教養人で、ギリシャ語訳の旧約聖書の知識もある人物でなければ読みこなし難い文書になっていることから、テオフィロに匹敵する読者群が想定されていたことが考えられます。
  このことから更に推定されることは、ルカによる福音書の著者の属する教会は、このような、高度な教養を持った人々を中心とした教会、おそらく、異邦人キリスト者の共同体であったとも考えられます。著者は、福音書の中で登場する人物を通して、神が救いの歴史を展開なさるその仕方を人々に示したのです。ルカによる福音書に記載された数々の、生き生きとした物語を読むとき、当時のヘレニスト修辞家たちを遙かに超えた著者の力量を感じないわけにはいきません。
  ルカによる福音書の著者の属する異邦人キリスト者の教会は、主イエス・キリストによる救いについて、真剣に求め、また理解を深めるに熱心な共同体であったことが伺えます。
  著者は、この書物の献呈の辞を終わるに当たって、「04 お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります」と書き記します。これは、並々ならぬ願いであったと思います。神殿は崩壊し、時代は急を告げ、キリスト教会への迫害が本格化しようとする紀元八十年代、おそらく、パウロの伝道活動で出来た、ある一つの教会で信仰生活を続けているルカによる福音書の著者は、すでにキリストの福音について聞いており、いくらか理解を示しているローマの高官の一人にでも、キリストによる救いの確かさが受け止められ、福音の前進が結実し、迫害の波が少しでも避けられるならばとの思いで、持てるあらゆる英知を捧げて執筆した作者の思いを、ルカによる福音書のあらゆる行間に読み取ることが出来ます。また、迫害を目前にして、意気消沈している教会の信徒達に、信仰の確信を得させ、大きな勇気を与えることができればと思い、この書を執筆したのでしょう。
  ルカの人となりは、福音の正しい理解をもって、ただひたすらに宣教にいそしみ、キリスト教共同体の幸せを願って祈る、そのような人物でした。しかし、彼の努力にもかかわらず、時代の趨勢は変わらず、教会は厳しい迫害の波に飲み込まれていきました。
  日は代わり、世は移りました。迫害の時が過ぎた時、人々の手には、彼の書いた「ルカによる福音書」が握られ、その美しくも、生き生きとした物語に励まされて、信仰の道を歩いていく人々が居ました。神様は、彼の祈りを無にはなさいませんでした。ルカによる福音書が、祈りの書としても尊ばれる通りに。