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     マタイ2章19~23節 イエスのエジプトからの帰還

ヘロデ大王の死
19ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
 36年間もパレスチナの広い地域を支配したヘロデ大王は紀元前4年に死んだ。嬰児イエスを追いつめ、周りの、生まれたばかりの男の子を殺したヘロデの圧迫は終わった。
 飢饉を逃れてエジプトに旅したヤコブのように、嬰児イエスを伴ったヨセフはヘロデの手を逃れてエジプトへ下った。
 今や神は、ヘロデの死を機にイエスを伴ってエジプトに逃れていたヨセフに天使を送られる。
 
帰還のみ告げ
20言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
 天使は、ヨセフに故郷へ帰るように指示を与えた。神は、苦境にある者をお見捨てにはならない。細心の注意をもって見守り、時を得て、その使信を明らかにされる。
 神のまなざしの中で生きる人生は、いかなる困難があっても嬉しく、希望に満ちている。
 
帰還・・ユダヤへ
21そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。
 こうしてヨセフはイスラエルの地に向っていった。その胸中には、イスラエルが決して忘れず、常にそこから出発し、その恵みを口ずさんで忘れることのない出エジプトの出来事を、心の中で重ねていたに相違ない。
 ヨセフとマリアは、神の慈しみと恵みの溢れる幼子を抱いて、ユダヤの地へと帰還したのであった。
 
再びの待避
22しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。
 しかし、ヘロデが死んでも、イエスにとっての問題は解決しなかった。それは、ヘロデの死後、ユダヤの地はアルケラオが領土を継承し、支配していたからである。
 「アルケラオ」は、大王の領地を引き継いだ三兄弟の一人で、ユダヤ、イドマヤ、サマリアを相続し、支配したが、最も過酷な領主であったため、人々は非常に苦しみ、町には激しい闘争が起こった。
 この結果、通常は反目し合っていたユダヤ人とサマリア人が協力して、アルケラオの圧政ぶりをローマ皇帝に陳情し、改善を訴えたほどであった。
 このような騒乱と訴えもあって、ローマ皇帝は軍を送り、この地方を鎮圧し、結局、アルケラオは、ローマからうとまれ、紀元六年、在位十年でガリアに追放されたのであった。
 天使のみ告げによってユダヤに帰還したヨセフは、イエスをこの圧政の下に置くことは出来なかった。帰還すべきユダヤのベツレヘムはアルケラオの領土だったからである。

帰還:ガリラヤへ
ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、
 しかし、この苦境に直面して、再び天使のみ告げがあり、ガリラヤ地方に行くようにとの指示が下される。この指示に従って、アルケラオに不安を感じたヨセフは、ガリラヤ地方に向かったのである。
 このときガリラヤは、アルケラオの兄弟アンティパスが領土として継承していたが、この領主はアルケラオよりもましな領主であったので、天使のみ告は妥当であったと言える。
 
ナザレ人
23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
 こうして、イエスは、ようやくガリラヤのナザレに定住することになったため、「ナザレ人」と呼ばれることになった。
 しかしここで、もう一つの問題が発生した。
 当時のユダヤ教では、メシアの故郷はユダヤのベツレヘムかエルサレムを居住地として考えており、辺境の町ではなく、聖なる都であるべきだと考えていた。また、当時、メシアの出身地としてナザレは相応しいとは考えられてはいなかったので、イエスがメシアであるということに関して偏見が起こった。
 このことは、八十年代のマタイの時代の教会でもどうでもよい問題ではなく、これに対して弁証が必要であったので(ヨハ1:46、7:41、52)、マタイは旧約引用の形でこの問題に解決を与えようとしたのである。
 しかし、「ナザレ」という名が旧約聖書にはなく、マタイが上げている「ナザレ人と呼ばれる」という直接の予言もない。マタイもこのことに配慮して、出典を「預言者たち(複数形)」として幅を持たせ、預言書全般の意図を示すものとして捉えている。
 ただ、この意図に近似し、理解を助ける旧約句は、イザヤ一一・一にある。そこには「エッサイの株から一つの芽が萌え出で、その根から一つの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」とあり、エッサイの根から生え出る「若枝(ネセル)」が預言され、エレミヤ(23:5、33:15)やゼカリヤ(3:8、6:12)では救い主を主がイスラエルに生えさせる「枝」についての預言がある
 この時代のユダヤ教では、このイザヤの予言は、エッサイの株から出た約束の枝、ダビデのすえ、油注がれた王をこの句の中に見て、メシア出現の予告として受け取られていた。
 そこで、マタイは、ここのイザヤ書に出てくる「若枝(ネーツェール)」の「枝」が「ネゼル」であり、これが「ナザレ」と疑似音であるところから、ギリシャ語化されると、「ナザレの人」に転化し得る言葉であると解釈したのである。
 このことから、マタイは、このイザヤの句は、イエスがダビデの子孫から現れるメシアであることを述べ、同時にイエスがナザレ出身であることを示唆していると理解し、イエスがメシアであることについての偏見を取り除こうとしたのである。
 マタイは、イエスの少年時代に起こった出来事を旧約預言の成就と見るが、ここでも「彼はナザレ人と呼ばれる」という予言を引用し、イエスがナザレ人と呼ばれていることを取り上げ、イエスの低さを表すしるしとし、高くそびえる木からではなく、幹が切り倒された根から生えてくる新鮮な若枝についての預言の成就を見たのであろう。
 
信仰の根拠
 今や幕は開かれ、ナザレは世界への門戸となった。
 ナザレは、ダマスコからエジプトに通じ、昔ヤコブの子ヨセフがこの道を通ってエジプトに売られていった「海の道(南方の道)」が通じ、また、絹や香料を運ぶ隊商やローマ軍が行き来する「東方の道」があり、ナザレの丘から、これらの道を通る遠い国の人々を眺めることが出来た。丘に登れば世界の半ばが眺められ、西を見れば遠方に地中海が見えた。
 ナザレは確かに小さい村ではあるが隔離された村ではなく、イエスはこの眺めを見てやがて神の言葉を伝えるべき世を意識されたであろう。
 マタイは、ヘロデの邪悪さ、イスラエルの不信は、神のご計画を妨害するどころか、かえって成就させたと見ており、神の意志と一致する信仰の根拠となっている。
 神の予言に寄り添い、その摂理の中で生きる者は、いかなる逆境の中にあっても、その中から豊かな主の言葉と使命をくみ取り、生き生きと生きることが出来る。
 これに反し、アルケラオは、その苦行のため、九年後の、紀元六年にアウグストスによって追放され、ユダヤはローマの直轄地とされ、総督によって治められることになったのである。
 人には計り知れない長い歴史の経過においてではあるが、神は必ず、その人生を正しく評価なさるのである。


  
 
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