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マタイ1章1~17節 伝統の恩寵を担って

選民イスラエルの始まり
マタイによる福音書は、イエス・キリストの系図から始めています。まず、この系図は初めの14代から始まっています。「02アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、03ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、04アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、05サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、06エッサイはダビデ王をもうけた」と書き並べています。
「02アブラハムはイサクをもうけ」と言うとき、ユダヤの人々の心には、深い思いが溢れたに違いありません。選民イスラエルの運命は、このアブラハムから始まったからです。神がアブラムに、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて私が示す土地に行きなさい。02わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。03あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う、地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」と言われたとき、この約束の上にイスラエルの運命は決定しました。
第一の不運はアブラムに子供が与えられないことでした。子孫が途絶えてなぜ大いなる国民になるという神の約束が実現するのか。激しい苦悩の中でアブラムはその子イサクを与えられます。ところが今度は、一人しか居ないこの息子を神は生け贄に捧げよと要求し給う。幸い、捧げる寸前にこれを雄羊と取り替えることを赦し給うたので救われました。

アブラハムの激動の人生
アブラハムの人生はハランからエジプトへ、そしてカナンへと、頭が狂おしくなるような激動の人生でした。そしてこの人生は、イサク、ヤコブ、ユダ、ペレツ、ヘツロン、アラム、アミナダブ、ナフション、サルモン、ボアズ、オベド、エッサイ、ダビデと引き継がれていきます。ここに上げられている14代に及ぶ人々が、それぞれの人生をかけて神と出会い、その生活を通して神を現してきたのです。
しかし、この信仰的伝統は、通常のものではありませんでした。この系図の中に上げられているタマルは、ユダの長男エルの妻でしたが、エルが主の意に反したという理由で命を取られました。この死後タマルは弟オナンの妻になりましたが、オナンは子供を産んでも自分のものにならないと知って子を産むことを否み、この行為が主の意に反したという理由でオナンもまた主に命を取られました。こうしてタマルは実家でシェラが成人するまで寡婦のまま待たされたのですが、我が子シェラも主に命を取られるかも知れないという恐れからユダは、シェラとの結婚をタマルに赦さなかったので、タマルは遊女に偽装してユダの愛を得、双子の母となったのでした。いわば、ユダを欺て、姦淫をした女だったのです。しかし、このような罪を犯してまで、イスラエルの血統を守ろうとした女性を聖書は系図の中に記載しました。

悲しみを抱えた女性たち
また、ラハブという女性についても記されていますが、ヨシュア記では、遊女でありながら、ヨシュアが放った斥候を助け、エリコの攻略に成功をもたらした女性としてこの系図に加えています。
更に、ルツという女性についても記されています。飢饉を逃れてユダのベツレヘムからモアブの地へ逃れたナオミは、夫と二人の息子を失って、モアブ出身の嫁二人だけを伴う身となりました。ナオミは、飢饉の去ったイスラエルの地に帰る際に、この二人をモアブに残して幸せになるようにと命じますが、ルツは姑ナオミから離れない固い決意を示したため、姑ナオミと嫁ルツは、二人してイスラエルへ帰郷します。この美しいルツの心と行いはボアズの知る所となり、結ばれて系図の中に入れられることになったのでした。
最後にウリヤの妻についても記されています。聖書には、「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」とあります。ダビデは、サウル王のために大いなる貢献をし、イスラエルの民を救ったにもかかわらず、サウル王に追われ、死ぬほどの危機に陥った上に、今度は王となった後には、自分の欲望に負けて、部下であるウリヤを殺し、その妻を取って産ませた子供がソロモンでした。ダビデは、この罪について生涯悔い、この罪の悔い改めの祈りは彼の多くの詩編の基底をなすものとなっていますが、このソロモンがソロモンの栄華と他国に唱われる国を作ったのでした。
このように、マタイは、女性を記載する習慣のなかった系図の中に、「....によって」という定式で4人の女性を書き入れました。歴代の人々が、その数々の罪にもかかわらず、神の恩寵と祝福を受けて、ソロモンの栄華にまで至ったことに加えて、系図の中に4人の女を加えることによって、どのような罪人であっても、そしてたとえどのような異邦人であっても、又男も女も、分け隔てることなく全世界の人々が神の救いに覆われていることをマタイは宣べ伝えているのです。

悲しみのイスラエル
しかし、ソロモンの栄華もひとときの繁栄。次の14代は、罪と絶望の系図が書き加えられることになります。「07ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、08アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、09ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、10ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、11ヨシヤは、バビロンヘ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた」と系図は辿られます。
世的繁栄は深刻な矛盾をはらむものです。ソロモンの子レハベアムはその尊大さの故に北部十部族を失い、国は北イスラエルとユダに二分されていきました。系図は、アビヤ、アサ、ヨシャファト、ヨラム、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ、マナセ、アモス、ヨシヤ、エコンヤと進みますが、エリア、エリシャの預言と宗教改革にもかかわらず、ついに北イスラエルはその背信の故に、政治的に劣っていたユダ王国よりも先に滅びてしまいました。人の成功は決して人を救いません。北イスラエルは、その繁栄と共にヤーウェの神を捨てたからです。もっとも、南のユダ王国も、ヨシヤの宗教改革も、エレミヤの預言もかいなく、ついに滅び、その指導者達はバビロンの地に捕囚として移されていきました。いかんともし難い悔いが、そして克服することの出来ない苦悩が、彼らを覆いました。

哀れみの内に置かれるイスラエル。
しかし、このようなイスラエルを主は捨て給いませんでした。希望は主から来たのです。第3の14代が始まりました。「12バビロンヘ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、13ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、14アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、15エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、16ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」とあります。ゼルバベルを指導者にして神の救いの手を受けてイスラエルの地に帰還した民は、エズラ、ネヘミヤ等の協力を得て神殿再建に力を尽くしました。耐え難い罪責の中で、ただ主にのみ依り頼む日々が始まりました。エルサレムに神殿を再建し、そこで主を礼拝しようとする希望の日々でした。

イエスキリストへの道
旧約聖書が筆を下ろしてから約400年の後、「01アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリスト」が誕生することになりました。「アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンヘの移住まで十四代、バビロンヘ移されてからキリストまでが十四代」。イスラエルの人々が神の国とも認めるダビデ王朝は、ここにあげられている人々の生活と人格を通して引き継がれた信仰の集積だったと言わなければなりません。神は、交わりを人と結び、その人の人生を通して御自分を現されます。この神の顕現の歴史が、これらの人々についての記憶で造られます。イスラエルの民にとって、信仰は、突然の啓示や一時的な悟りで生まれるものではありませんでした。それは、父祖たちの暮らしと人格を通して、その集積から生まれてくるものだということが分かります。尊敬する父祖達の記憶。これによって明らかになる伝統の中から人格的信仰が生まれてくるのです。
しかしその歴史は、神の祝福と共に、深い罪の悔い改めと主による赦しの歴史でもありました。すべての人を、赦しと祝福で覆い給う愛の主の顕現の歴史でもありました。この、とてつもない名前の連なりの中に、溢れるような人間の嘆きと喜びが、そしてそれを導き給う主のお姿が、はっきりと見えるのです。



  
 
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